LRT とは
首都クアラルンプールと郊外をつなぐLRT (Light Rail Transit)・ケラナジャヤ線は、1998年に開業したコンピューター制御による無人運行の新交通システムです。ちょうど神戸の「ポートライナー」や東京の「ゆりかもめ」のような交通機関と考えると想像しやすいかもしれません。
LRTは、“ライトレール”というその名の通り、通常の鉄道車両と比べると小型で車内も小さめです。基本的には車社会のマレーシアですが、路線の拡張やMRTとの接続などもあり近年は利用客が大幅増。運輸省が公表している数字によると、新型コロナの影響が出る前の2019年時点で約9,500万人近い年間旅客輸送数を誇るまでになっています。
そのLRTで、2021年5月24日夜に起きた正面衝突事故。犠牲者が出なかったのは幸いでしたが、213名もの負傷者 (うち重症者47名) を出すマレーシア史上最悪の鉄道事故となりました。その規模の大きさもあり、事故のニュースは日本も含め世界中のメディアで報道されましたが、結局のところ何が原因でこの惨事が起きてしまったのでしょうか?
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事故原因
事故の一報を聞いた時、まず頭に浮かんだのが「自動運転なのにどうして正面衝突が起きるんだろう?」という疑問です。大量の利用客を輸送することになる公共交通機関の場合、通常は複数の安全対策いわゆる“フェイルセーフ”の思想で設計されていることがほとんどで、自動運転システムともなればなおのこと二重三重の対策が取られているはずです。
鉄道や航空機も含めた過去の多くの事故と同じく、今回の事故も複合的な原因が絡んでいたことが調査により明らかになってきました。
列車Aのコンピューターシステム故障
ここでは、後に回送車両として運転士が操作することになる列車をAとします。
まず、列車Aが通常運行中にコンピューターシステムの異常が発生し、運行から外れることになりました。この時点では、2つ搭載されているコンピューターシステムのうち片方に不具合が出ただけだったので、乗客を乗せない回送車両として生きている方のシステムを使い自動運転で車両基地まで戻すことになります。
ところが、回送中に正常に作動していた側のコンピューターシステムも故障したため、制御信号を受け付けなくなり列車AはKLCC駅とカンポン・バル駅の中間 (地下区間) で完全に停止してしまいます。指令室はすぐに整備士を現場に派遣し、停止した車両をマニュアル操作で運転しダン・ワンギ駅まで移送するよう指示しました。
ちなみに、停止した場所からだとKLCC駅とは反対方向に進み、カンポン・バル駅を通過した一駅先がダン・ワンギ駅となります。とりあえず他の列車の妨げにならないところに運んでから、コンピューターシステムをリセットして再起動→自動運転に復帰する、という狙いだったようです。
回送する進行方向を勘違い
整備士が乗り込んで車両をマニュアル操作で移動させる際に、今回の事故に直結するミスが起こります。具体的に何があったのかは明らかにされていませんが、ウィー・カーシオン (Dr. Wee Ka Siong) 運輸大臣は、事故について「この際に、指令室と整備士の双方が規定で定められた手順 (SOP) を守らなかったため、本来進むべき方向と反対のKLCC駅側へ運転する結果となった」とコメントしており、何らかのSOP遵守違反という人為的ミスが起きたことは確かなようです。
事故当時、夕方のラッシュアワーは若干過ぎていたものの、ここは路線の中でもとりわけ利用客数が多い区間です。現場で停止し続けると路線全体の運行にも大きな影響を与えることから、故障車両をできるだけ早く移動させなければというプレッシャーは当然あったことでしょう。もしかすると、そのことがSOPを見落とすほどの焦りを生んでいた可能性はあります。
また、停止した場所が地下区間だったこともエラーを生む原因となったことは否定できません。これが景色の見える地上区間であれば、周りを見ただけでどちらの方向に進むべきかすぐ分かったでしょう。ただ、今回のようにどちらの方向も同じように見える地下で正規の確認手順も飛ばしてしまうと、恐らく間違いに気づくのは次の駅に着いてから、もしくは対面から来る列車を視認してからとなってしまいます。
確認不十分なまま列車Bに発車許可
ここでは、衝突した相手側=乗客が乗っていた側の列車をBとします。
故障して駅間で停車した列車Aを動かそうとしている間、列車Bは乗客を乗せたまま最寄りのKLCC駅で待機状態にありました。しかし、故障車両が完全にクリアになったことを確認しないまま、列車Bの待機状態が解除されてしまいます。結果、列車Bは次のカンポン・バル駅へ向けて発車しますが、同じ時に同一線路上を反対側から列車Aが向かって来ており、ほどなくして正面衝突に至ったというわけです。
ここでも、やはり指令室と現場のコミュニケーションエラーが浮かび上がってきます。恐らく、「故障車両は現在‘ダン・ワンギ駅’に向けて移送中だ」という認識のもと、後ろから列車Bが追いかけても問題ないと判断したのでしょう。指令室がもう少し注意深く確認していれば、故障車両がKLCC駅へ向かって逆走していることに気づけた可能性はあったはずです。ただ、コンピューターシステムがダウンして通信できなくなっていた車両ということで、指令室でもまともに車両のモニターができず運転士とのやり取りのみに頼っていたという状況も考えられます。
たとえ列車Bが待機状態のままにあったとしても、KLCC駅構内で列車Aとの衝突は起きたかもしれません。それでも、双方が運行中に正面衝突するのと停車中の列車に追突するのとでは、多少なりとも衝撃や被害の度合いは違ったでしょう。片方が止まっていれば、対向車両を確認してから衝突までの時間も増えるため、車両Aの運転士が衝突寸前により減速できた可能性もあります。
事故防止の改善策は?
本来、自動運転システムでは起こるはずのない正面衝突事故。車両に搭載されているコンピューターシステムが2台ともダウンしたこと、停止した場所が地下区間だったこと、手動で列車を移動させる際の確認手順が守られなかったこと、安全確認をしないまま乗客を乗せた列車に発車許可を出したことなど、様々な条件とエラーやミスが複合的に重なって今回の事故は起こったことが分かります。
本事故の調査委員会により、今後同種の事故を防ぐための提言がまとめられました。当面の対策としては、今後3か月の間は地下区間で運転士がマニュアル操作する必要がある場合は2人体制にすること、また今後の中長期計画として、マニュアル操作時のチェックリスト策定、さらに指令室および整備/運転に関わる職員を対象にした定期的なトレーニングや認定試験の実施などが含まれているようです。
これまで大きな事故は起こしたことのなかったLRTですが、今回の事故を受けて安全対策や社員教育の大幅な見直しが行われるものと見られます。また、これは当該路線に限らず、数年前に開業し同じく自動運転のMRT、運転士が運行するマレー鉄道 (KTM) も含め、マレーシアの公共交通機関全体の体制や意識改革にもつながるべき事例だと言えるでしょう。
(2021年6月18日:テキスト追加・修正)
[参考資料]
(2021年6月11日) “Wee: Safety improvements must be done”. The Star. URL: https://www.thestar.com.my/news/nation/2021/06/11/wee-safety-improvements-must-be-done (参照日:2021年6月15日)