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ビデオ会議あるある:「聞こえない」
2021年の10月あたりから社会・経済活動が一定程度回復してきたマレーシアですが、それでも Zoom や Google Meet、Teams、Webex といったビデオ会議を利用してオンラインでミーティングをする機会はまだまだあります。
こうしたオンライン会議でよくあるのが、話している人の声が聞こえないというトラブル。少人数でのビデオ会議であれば「ミュートになってますよ」などとすぐに注意喚起できますが、規模の大きいウェビナーなどでは音声トラブルというのは厄介なものです。今回は、ビデオ会議においてマレーシアならではのコミュニケーションの食い違いが起こった例をご紹介します。
“Cannot hear.” は本当に「聞こえない」?
マレーシアをベースに先日行われたあるウェビナーでの話です。午前中は順調に進んでいたイベントでしたが、午後になってあるプレゼンターの時に参加者から複数のフィードバックが入りました。その内容がそろって「Cannot hear. (聞こえない)」というもの。
配信側では音声トラブルを認識していなかったので、突然のフィードバックに焦ります。唯一気づいていたのは、そのプレゼンターのマイクがやや遠く他のプレゼンターよりは音量が下がっていたことですが、別に聞き取れないほどではありません。それでも同時に複数の参加者から「聞こえない」というフィードバックがあったからには何かあるはずです。サーバー側でのトラブルが起こっているのか、それとも配信側で見落としている何らかのミスがあったのか、技術サポートチームは確認作業に追われました。しかし、他の複数のモニターに確認したところ、確かに声は小さいものの聞こえているとのこと。
そこでふと思ったのが、フィードバックを送ってきた人たちは「本当に“聞こえていない”のか?」という点です。
それで、「“Cannot hear.” っていうのは、音声が完全にカットされた状態なのか、それとも聞こえているけど音量が低い状態なのか、どちらですか?」と確認しました。すると、全員が「“Can hear, but very soft.” (聞こえるけど声が小さい)」との返事。「いや、今さっき “Cannot hear.”って言ってたやん」と思わずツッコミたくなります。
「Cannot hear.=聞こえない」と「Can hear.=聞こえる」という一見すると全く正反対の表現ですが、彼らにとっては同じ文脈でした。結局のところ、彼らの言う「Cannot hear.=聞こえない」は実際には「Cannot hear well. =聞きづらい」ということだったのです。
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こうなった理由を考えてみた
後から確認すると、この「Cannot hear」というフィードバックを送ってきたのは、なぜかすべて中華系マレーシア人の50~60代でした。それより若い年代、またマレーシア国籍の他の人種や外国人の参加者からは「“His voice is soft.“ (プレゼンターの声が小さい)」と誤解のない表現でフィードバックがされていたのに対し、「Cannot hear」という表現の使用がどうも [中華系マレーシア人 / シニア層] という特定のグループに偏っているように見えます。その理由について少し考えてみました。
可能性1:年齢
50~60代の場合は加齢により聴力が落ちてくることで、それより若い年齢層に比べると小さい声を「聞きとりにくい」と感じる割合は多いと考えられます。
とはいえ、同じ年齢層でも中華系以外の人たちは聞こえにくいことを違う表現で伝えており、ただ年齢を「Cannot hear.=聞こえない」という表現の原因とするのはちょっと無理がありそうです。
可能性2:マレーシア英語
日常会話では特にブロークンな表現が多用されるマレーシア英語。本来 “cannot” というのは「~できない」というはっきりとした否定の意味を持ちますが、マレーシア人の場合は「ちょっと面倒だ」「やりたくない」「できるかどうか分からない」といった時にもすぐ「キャンノット」と言う傾向があり、元々の意味より広い範囲をカバーする使われ方をしています。
そういう意味では、「聞こえない」「聞こえにくい/聞きづらい」といった状況をすべて含む表現として「Cannot hear.」と言っている可能性があります。しかし、この意味合いでの使用がマレーシア人の中でも中華系に偏ってみられることから、マレーシア英語の影響だけが原因というわけではないでしょう。
可能性3:教育の影響
中華系マレーシア人の場合、英語教育を受けて日常生活 (家庭内の会話) でも英語を使っている人と、中華系の学校教育を受けて家庭では中国語メインという人の大きく二種類に分けられます。今回「Cannot hear.」と言ってきたのは、英語は話せるもののすべて後者の中国語教育を受けた人たちでした。
中国語の背景を持つマレーシア人がよく使う言葉に「Can or not? (キャン・オア・ノット)」というものがあります。おそらく中国語の「可不可以/能不能?(できますか)」という表現から来ているのだと思いますが、中国語には「是不是」などほかにも肯定と否定を組み合わせた表現が見られます。
このように物事を二つにはっきり分けた言い回しがよく使われる中国語の考え方が、“cannot” という表現を拡大解釈する傾向のあるマレーシア英語と合わさったことで、今回の「よく聞こえない=Cannot hear.」というコメントが中華系マレーシア人のシニア層に偏って見られたのではないか、というのが筆者の個人的な分析です。
まとめ
日本人でも、外国人から「“Do you speak English?”=英語できますか?」と話しかけられた時、とっさに「No, I cannot speak English.」と答える方は少なくないですが、これも母語が持つ文化の影響が表れているという意味では似たようなものかもしれません。
英語圏のいくつかの地域では、ほんの少し出来るというだけでも自信たっぷりに「できます!」とアピールすることが少なくありませんが、日本語ではそれほど習得しているわけではない能力や技能について「できる」と言ってしまうのは正直ためらわれます。そのため、少し英語が話せる程度では「cannot (できません)」と言う場合が多いでしょう。
それでも、相手の英語を聞き取った上で英語で返事できているのですから、たとえ自信がなかったり基礎レベル程度のやり取りしか覚えていなかったりしても、実際には英語が “cannot (できない)” というわけではありません。それを「あまり話せない=Cannot speak.」と表現してしまうというのは、要因こそ違うもののまさにこの記事で取り上げたのと同じパターンの意味合いのズレが見られるのです。
対象となる数が少ないこの程度の分析ではっきりとした結論は出ませんが、何はともあれ他民族・多言語国家であるマレーシアという国でのコミュニケーションの面白さと難しさを実感した出来事だったのでご紹介しました。
みなさんも、言語学習においてはぜひ言葉と文化の違いをポジティブにとらえて楽しみながら取り組まれてくださいね。
関連記事:「マレーシア英語に慣れよう ―その1「Can」」